大きな壁と分岐点2/4
こんばんは、Oliblogです。
英語でのコミュニケーションが難しいと言われたのは初めてだったので正直ショックでした。私はまだまだ英語力は足りていないのは自分でもわかってはいましたが、いざ面と向かってというか、人伝だとしてもショックはデカかったです。
カフェのシフトが減らされていき、昼間に空いた時間をどうにかするために中華料理店でシフトを組んでもらえる様交渉しましたが、予約も全然なく、人手入らないとの事でこちらもシフトはもらえませんでした。
当初、英語の壁そして仕事が激減してメンタルはズタボロです😅唯一ジャパレスは仕事を週4で貰っていましたが合計15〜20時間だと貯金ができず厳しかったです…
その当時のシフトは
月曜日17:00〜21:30(ジャパレス)
火曜日17:00〜21:30(ジャパレス)
水曜日off
木曜日off
金曜日17:00〜21:30(ジャパレス)
土曜日17:00〜21:30(ジャパレス)
日曜日off
とスカスカ状態が数週間続きました🙃カフェも中華も全然仕事がなくただ、何をどうすれば良いのか試行錯誤に没頭する日々でした。
この時支えになっていたのは同じワーホリ生活を送っている友達、日本にいる友達でした🥹電話でひたすら悩みや相談を聞いて貰い、とっても心の支えになっていました。毎日毎日同じ様な相談を何回も繰り返して、それでもちゃんと聞いてくれて本当に感謝でしかないです😭本当にありがとう😭😭
その時私の脳裏にあったのはこの2つです。
- ケアンズでカフェの仕事の代わりに新しい仕事を見つける
- ケアンズを引っ越す
ケアンズでセカンドビザのカウントは稼げたはずだったのでそのままサードビザの習得までするためにケアンズに残るために新しい仕事を見つけようか迷っていました。でも現実的にケアンズで仕事をまた探すと言う気持ちになれなかったんです。また仕事探しをするとしたらケアンズ仕事探し何回目?って感じだったし、すぐに見つかるとも思わなかったのでジャパレスのみで生計を立てていくのが私の中では乗り気じゃなかったです。
家も仕事も全て捨てて新しい街に引っ越す?そんなことも考えていました。オーストラリアに来てケアンズで長い間暮らしていこうと決めたあとだったって言うのもあるし、街を引っ越すというのは全てを捨てて新しく一からやり直すと言うことでそんな強気な気持ちが持てなかったです。
永遠とこの2つ相談を友達にしていました😅ともに重い決断で1人で決めることができなく、といっても友達にだってわからないことだし、数日間どうしようかずーーーっと悩んでいました😂
でも意外にもあるタイミングでやっと気持ちが整理がつき自分で決断することができました。